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創業1期目の大晦日に感謝を込めて

2015年11月20日に起業し、あっという間に大晦日になりました。この記事は自分に「お前、忘れるなよ!」と言い聞かせるために書いています。そして、絶妙なタイミングで起業トリガーを引いていただいたソラコム様に感謝の意を込めて正直ベースで書いています。

起業に恐れた20代

実は、起業しようと思っていたのは20代後半だった。丁度、Webサイト作成が盛んになった1990年後半。しかし、勇気がなかった。無収入になることの恐怖は絶大だった。サラリーマン(学習塾の先生)を辞職し、今でいうフリーランスを始めて2ヶ月後には夜中に恐怖で眠れず、翌日にはハローワークに飛び込んだ。幸いにもIT企業に入社し、中央省庁の地方支分部局のIT促進化など様々な経験をさせていただいた。今でもこの選択は間違ってはいなかったと思う。あのままWebサイト作成会社を作っていたらレッドオーシャンの荒波に飲まれていったことだろう。

起業に必要な経験をした30代

2007年(30代)で新潟から東京に転職し、普通では経験できない仕事をした。中央省庁の仕事は刺激的であり、社内での新サービス立ち上げも新鮮で楽しかった。しかし、ある意味、運が悪かったことは「世界」を知ってしまったことだった。とあるOSSを国内に普及させるミッションを任され、当然ながら世界から情報を集めなければならない。そのOSSLinuxGUIを開発したメンバーで構成されていることから、今ではメジャーな「GitHub」「AWS」をかなり早く導入していた。情報を集めるごとに「日本とは違う」「スピードが違う」と驚きつつ、世界では「イッツオーライ」なOSS風土と、日本の「ガチガチ要求仕様」にOSSを無理やり結合させる風土のギャップに戸惑っていた。そう、日本はガチガチすぎて気持ちが悪かった。そして、OSS普及に伴うリターン(マネタイズ)の難しさと重責は相当以上に負担だった。わかりやすい表現を用いると、常に梅干しが口に入っている気分で酸っぱかった。肉体が黄信号を送っていた。そして、世界では合同会社(LLC)の看板で堂々と勝負していること、日本でも1円で法人登記が可能なこともこの時知った。

起業する場所を見つけた40代

2013年(40代)に、アベノミクスによる日本経済の変化が東京で実感できるようになった。その時、ふと思い立ったのは「新潟への波及効果はどうなんだろうか?」だった。有給休暇を使い、新潟に一ヶ月間滞在した。インターネットから得る情報より、自分の目で見ることが大切だからだ。その結果、「新潟、何も変わってへんな…。」だった。都内の会社へ転職する予定だったが辞退し、無職のまま新潟に戻った。42歳のときである。

両親の高齢化で長男としての責務があることも新潟に戻った理由の一つだが、それ以上に「新潟の企業はどうなっているんだろうか?」に興味があった。この時、新潟市で即起業とは考えていなかった。それよりも自分が「この会社だ!」と思う場所で社員として企業成長に貢献したいと思っていた。幸運なことに人に恵まれ、約1年半、新潟市でITエンジニアとして仕事をすることができた。そして、上述の疑問「新潟の企業は?」に対する答えは1つだった。「もったいない…」である。新潟市は東京から350km離れた政令指定都市で農業特区にも指定されている。ポテンシャルの高さは言うまでもない。東京からの距離、ユーラシア大陸への経路、インフラの整備状況、中央省庁の地方支分部局の多さ、そして東京の大学を卒業し、東京で仕事をしてきた優秀な人が故郷に戻り第一線で仕事をしている人材の豊富さである。東京の派遣会社が地方から良い人材を吸い上げようとしている状況下で、危機意識が足りないのではないかと思うほど優秀な人材がいる。

ポテンシャルを活かしきれてない最大の理由は「保守思考」の1点である。地方の人は「市場が小さいから」「人材がいないから」「○○から東京へ」と言う。私は今でも意味がわからない。市場に足を運ばなくても良いようにすればいいだけでしょう。人材がいないからではなく上手く使っていないからでしょう。○○から○○へは時代錯誤で、Fromなんかどこでもいいでしょう。気にしているのはあなた方だけだと言いたい。世界では地方都市だからといって気にする人は少数派だ。海外の人に「どこに会社あるんだい?」と聞かれたとする。日本の新潟というところで、直接距離で東京から200マイルと答えると「東京からすぐじゃないか!」と笑顔で話す。世界は日本人が想像する以上にスケールが大きく、フェアであり、ルーズである。意識すべきところは世界から観ること。そして世界では「保守思考」は通用しない。これは世界史が証明している。これ以上は語る必要はない。

話が脱線してしまったが、1年半の新潟生活で最も恐怖を感じたことは「埋没する(保守思考に染まる)」ことだった。このままではいけないと想いが強く作用し、毎日苦しんでいた。唯一、実家暮らしだったこともあり勉強する時間はあった。とにかく、世界視点の感覚を失わないよう、アンテナを世界中に張り巡らし、自分ができることは実行した。そして、2015年9月30日(水)の朝を迎えた。

起業トリガーは2015年9月

Googleニュースで「元AWSエバンジェリスト玉川氏が率いるソラコム社によるクラウドネイティブ(AWS)なIoTプラットフォーム」である。ソラコム社(以下、敬称略)のWebサイトを開き、サービス内容を一読した。1時間はかからなかっただろう。ほぼ無意識に辞表メールを上司に送信した。通常、他者からのフィードバックを受けてブラッシュアップした事業計画を元に、3年間の運転資金、生活資金、その他もろもろの創業準備を始めるのが一般的であるが、恥ずかしいことに脳内キャンパス(絵に書いた餅)だけで「起業するから10月末で退職させてください」と正直にメールした。上司は非常にわかる(ITに対する世界観をしっかりもっている)人なので心配はしてもらいつつ承諾をしてもらえた。しかし、起業するからといって仕事は手抜きせずに10月最終日までベストを尽くした。この時点で起業に関する準備は一切していなかった。ただ、ソラコムを含め、情報収集は強化させていた。

起業準備の2015年11月

11月に入り、晴れて無職になり、起業準備と平行して資格更新時間も確保した。私は米国PMI認定PMPなので3年で更新していかなければならない。起業後の時間調整はお客様最優先になるので今のうちに更新しておいた方が良いだろうと分析したからだ。起業については予習していたこともあり、行くべきところに行き、アドバイスを受けるべきところは受け、粛々と行っていった。このあたりは中央省庁の調達案件経験が活きる。ドタバタせずにトラブルなしで創業手続きは完了していった。そして、新潟市で創業するメリットの一つとして「どこも空いているので、自分で加速させようとすれば極限まで加速させることができる」である。具体的には法務局、税務署、社会保険事務所、創業支援公益財団法人、銀行口座開設である。新潟市は中央省庁の地方支分部局が集積し、かつ混雑していないのでスムーズ。これが東京23区内だとそうもいかないのかもしれない。移動で疲れるかもしれない。

最も頭を使ったのはコーポレートサイトであった。作成するにあたって、ごくありふれたサイトでは面白くもない。モバイルファースト、レスポンシブデザイン、http→httpsクラウドならではのスケールに応じたサイジング、お問い合わせはGoogleフォーム、ブログははてなブログ疎結合を意識し、そして極限まで安価にする方法(無料のSSL証明書など)を採用した。無駄に画像、動画、スライダーでWebサイトを飾らず、DBを使わず、トラフィックを増やさず、当社が「今できること」「伝えたいこと」を文字でしっかりと示そうと考え、コーポレートサイトを作成した。恥ずかしながら文章校正に時間を要し、3日を費やした。あくまでベータ版としての公開である。Google検索順位でFacebookを上位にさせているのもベータ版だからとしている。SEOに時間と費用をかける必要は今のところない。

ソラコムの魅力

ソラコムについては、インターネットに情報が溢れんばかりに公開されている。私がソラコムのどこに魅力を感じ、なぜ起業という「冒険」までしようと思ったのかを以下に箇条書きにして大晦日の記事を終えようと思う。

  • AWSであれば何でもできるを具現化したスピリッツ(MVNOAWSで構築・運用する凄さ)
  • 玉川社長の社員に対するハート(リスクを踏まえて飛び込んでくれるCTOクラスのプロフェッショナルに対する厚遇)
  • AWS普及の再現化による事業成功の確度(元AWSエバンジェリストの経験とJAWS-UGネットワーク)

皆様、良いお年を!

そして、2016年はソラコム主催のイベントに訪問できるようベストを尽くします。 SIM300枚(3ヶ月平均稼働)を実現させないことにはソラコム本社を御訪問できる立場ではないので(笑)